凹凸プラ陳列館

凹凸プラ陳列館 (・ω・)/毎度ご覧頂きありがとうございます。

京都に来たマイテ49 2とオヤ31 31など

※2022年8月撮影

オヤ31が京都鉄道博物館で展示されるとのことで行ってきましたが・・・

展示引込線

既に特別展示は終了していました((

空の引込線というのも新鮮です。

外に出て見ると車両基地への回送を待っているオヤ31が居ました。

とりあえず見られたので良しとします。

 

オヤ31形オヤ31 31

建築限界を測定する事業用の客車で、オヤ31形では最後の現役車です。

元を辿ると昭和12年にスハフ34525として梅鉢車両で製造されたもので、それがスハフ32 208に改番、戦後連合軍による接収を受けて酒保車オミ35 11、食堂車オシ33 104に改造、接収解除後にオヤ31 31へ改造と、改造を重ねて現在に至ります。

銘板

こちら側には昭和29年に修繕されたというものと、オヤ31に改造された際のものが付いています。

中央部

建築限界を測定するときは、針のような矢羽根を広げます。

台車

反対側より

こちら側は種車の形状がよく残っています。

銘板

こちら側には「梅鉢車輌會社 昭和12年」と書いたスハフ32として製造された時の物もありますが、ギリギリ見えず・・・

 

ちなみにオヤ31は既に車両基地に返却されて京都鉄道博物館には居ないのでご注意を。

 

DE10形1118号機

オヤ31を車両基地まで回送する際使用されたそうです。

銘板

昭和46年汽車會社製とのこと。

タブレットキャッチャーも残っていますね。

反対側より

 

DE10形1156号機

嵯峨野トロッコカラーなDE10も変わらず居ます。

銘板

こちらもタブレットキャッチャーがあります。

 

オヤ31が京都に出張して来るのと同時にやってきた客車がもう1両あります。

 

マイテ49 2

特急「富士」や「はと」など名立たる特急に使用された一等展望客車です。

昭和13年大井工場にてスイテ37041として製造、連合軍による接収なども経て、昭和36年に一旦廃車となり、交通科学博物館に保存されたそうです。

その後昭和62年に車籍復活をして動態保存されていましたが、2009年を最後に運用に入らなくなり、この度京都鉄道博物館に回送されてそのまま収蔵車両となりました。

別角度より

展望デッキの柵

動態保存にあたって2本分増設したようです。

尾灯

連結器

台車

貴重な3軸台車を履いています。

車番

一等車を表す「イ」という表記は滅多にお目にかかれません。

1等

反対側より

銘板

動態復元された際の物と製造当初の物がどちらも付いています。

検査標記

車籍はまだあるようで、収蔵車両となった後も動態保存は継続しそうな気もします。

扇形庫のマイテ49 2

 

その他の車両も一部載せておきます。

検修庫に居たSL

訪問時はC62形2号機とC57形1号機が居ました。

 

C56形160号機

この日のSLスチーム号牽引機でした。

動輪

銘板

 

C61形2号機

動輪

反対側より

 

1070形1080号機

いつもは扇形庫内にいる機関車ですが、マイテ49が来た関係で外に出ていたようです。

動輪

銘板

反対側より

 

B20形10号機

こちらもマイテ49が来た関係かオハフ50 68の前に居ました。

プレート

銘板

機関室

反対側より

(ちなみにこの数日後、現存するもう1両のB20形である1号機も見る機会がありました)

 

C58形1号機

お召機仕様のイメージがある同機ですが、いつの間にか通常に戻っていました。

 

C51形239号機

代わりにこちらがお召機仕様になったようです。

菊の御紋

鳳凰

C58形1号機に付いていたものを使ったそうです。

動輪

機関室

 

D52形468号機

昭和21年三菱重工製です。

機関室

 

C53形45号機

昭和4年汽車製造製で、現存唯一のC53形です。

機関室

 

C59形164号機

昭和21年日立製です。

機関室

 

EF66形10号機カットボディ

昭和43年川崎重工製の機関車です。

 

221系モックアップ

交通科学博物館では運転シミュレーターだったものです。

ドアが223系のようなものになっています。

 

300系車輪

151系車輪

D51形車輪

刻印が無く車番不明です。

スポーク車輪

 

Google マップ

京都鉄道博物館の場所はこちら

 

保存車リスト~京都編~