※2024年12月撮影
明延鉱山と明神電車で結ばれていた神子畑選鉱場にも保存車があります。
説明板
電気機関車No.5
昭和19年三菱製の5トン機関車です。
パンタグラフ
反対側
わかば号
昭和35年製、ご当地神子畑で製造された客車です。

車内
反対側
36番鉱車
明延神子畑間の鉱石輸送で使われた貨車です。
反対側
播但線新井駅から約9km、明延鉱山から約23kmの所にあります。
明神電車はトンネルで明延と神子畑を直線的に6kmで結んでいましたが、それが無い現在はかなりの遠回りを要します。
神子畑選鉱場跡
明延から明神電車で運ばれてきた鉱石を選別していたところです。
平成16年頃に建屋は撤去され、基礎のみ残っています。
インクライン
鉱車などを上げ下げするための台車が通っていた線路です。
明延の鉱業所にも同じようなインクライン跡がありましたね。
インクラインの下にある広場には、作業場構内に張り巡らされていたであろう軌道が残っています。
軌間500mmと明神電車の軌間762mmの両方があるように見えます。(計測すれば良かった)
交差部
真ん中は転車台跡です。
こちらは500mmだと思います。
シックナー
鉱石を粉砕し、金属や水分などを分離していたところです。
神子畑鉱山事務舎
元は明治5年に生野銀山でお雇い外国人向けに建てられた官舎です。
明治20年に神子畑に移築され事務舎となり、現在は資料館になっています。
説明板
明延と同じく行ったタイミングが中途半端で、保存車以外の資料展示がほとんど見られなかったので再訪必須・・・