凹凸プラ陳列館

凹凸プラ陳列館 (・ω・)/毎度ご覧頂きありがとうございます。

碓氷峠鉄道文化むらの保存鉄道・その4

碓氷峠鉄道文化むらの展示物・その3 - 凹凸プラ陳列館

これの続きです。

信越線下り線に繋がった所にある車両をメインに見ていきます。

普段は入れませんが、イベント時などに公開されることもあるそうです。

 

189系クハ189-5

昭和50年川崎製、長野所属のN104編成長野側先頭車(9号車)だった車両です。

特急あさまなどで走り、平成11年に廃車となっています。

廃車後一旦は現役時代の編成そのままEF63形11・12号機と繋いで丸山変電所前で保存されましたが、しばらくして横川駅旧4番線に下ろされ、平成18年に2両を残して解体されて今に至ります。

説明板

ヘッドマーク

あさまロゴ

別角度

反対側

 

189系モハ189-5

昭和50年日車製、N104編成の8号車だった車両です。

平成18年までは同編成の他の中間車もありましたが、これのみが残りました。

車番

側面

別角度

 

EF63形12号機

昭和38年三菱製の機関車です。

廃車後は189系と共に丸山変電所前で保存されていましたが、その後下ろされて現在は動態保存されています。

銘板

別角度

製造後60周年のヘッドマークがついていました。

 

TMC500A形 製造番号No.10 (DB201)

昭和50年3月富士重工製、碓氷峠区間専用の保線モーターカーです。

横軽廃止後、平成17年に旧下り線を使ったトロッコシェルパくん」が運行開始すると牽引機「DB201」として使用されていました。

平成25年に新型機関車が導入されたことでトロッコ牽引から外れましたが、引き続き動態保存されているそうです。

TMC500A時代のシェルパくん(2012年8月撮影)

TMC200C形 (DB202)

ちなみにシェルパくんがTMC500Aだった頃は、「DB202」と番号の付いたモーターカーもありましたが、こちらは新車導入時に撤去されたようです。

 

EF63形11号機

昭和38年三菱製です。

こちらも189系や12号機と共に編成での保存を経て、現在は動態保存されています。

「10・11・12」が連番で残っているのも凄いですね。

銘板

反対側

 

EF63形25号機

昭和51年川崎・富士電機製、EF63形のラストナンバーです。

こちらは24号機と共に当初から動態保存されています。

銘板

パンタグラフ

反対側

 

EF63形24号機

昭和51年川崎・富士電機製です。

動態保存されており、訪問日は当機が動いていました。

銘板

反対側

換気のため貫通扉を開けた状態での走行になっているそうです。

上から見た24号機

走行中の24号機

24号機と11・25号機

停車中の24号機

 

ヨ8000形ヨ8841

昭和53年川崎製の車掌車です。

EF63と連結して走ることがたまにあるらしく、動態保存といえます。

車番

銘板

反対側

 

シェルパくん

信越本線横軽区間下り線を活用したトロッコです。

文化むらから3㎞ほど軽井沢寄りにある峠の湯までを結びます。

MR1106

平成25年に新製された機関車です。

UTBT-05001

平成17年製、シェルパくん運行開始時から使用されている客車です。

車内

旧客風の内装になっています。

UTBT-05002

同じく平成17年製の開放型客車です。

往路はこれが先頭になります。

車内

いわゆる「トロッコ」の内装です。

 

これに乗って峠の湯まで~

車内から見る189系とEF63

上信越自動車道高架橋を眺める

丸山変電所

まるやま駅到着~

坂を上る行きの便のみ止まります。

まるやま駅停車中のシェルパくん

駅名標

霧積川橋梁(上り線)

橋の上は遊歩道「アプトの道」になっています。

銘板

まるやま駅を過ぎると最急勾配66.7‰を上っていきます。

信越本線下り線と分岐

線路はこのまま軽井沢手前まで繋がっていますが、トロッコはここまでです。

とうげのゆ駅到着~

駅名標

 

切符を片道しか買わなかったので、帰りは上り線(下り勾配)を遊歩道にした「アプトの道」を歩いていきます。

入口

旧上り線

現役時代はEF63が先頭にたって列車が走っていた向きです。

霧積川橋梁

先ほどトロッコから見えた鉄橋の上です。

霧積川橋梁(下り線)

シェルパくんはこちらを渡ります。

表記

霧積川橋梁を渡るシェルパくん

急な下り勾配を最徐行で進むため、徒歩でも先回り出来てしまいました。

丸山変電所

丸山変電所とシェルパくん

この辺りから勾配が緩くなって加速していきました。

信号機とシェルパくん

踏切跡

信号機

野猿との遭遇

アプトの道から眺める文化むら

その日の運用を終えたシェルパくん

 

横川駅まで戻ってきました。

駅名標

古レール

ホーロー看板

碓氷峠現役時からありそうです。

211系A58編成入線

これに乗って高崎方面へ戻りました。

 

Google マップ

↑これらの保存車の場所はこちら

信越本線横川駅からすぐです。

 

その1~その3

 

保存車リスト~群馬編~ - 凹凸プラ陳列館

碓氷峠鉄道文化むらの展示物・その3

碓氷峠鉄道文化むらの展示車両・その2

続きです。

引き続き屋外展示場の車両を眺めます。

 

EF58形172号機

昭和33年日車製の旅客用電機です。

一般形のEF58ですが、お召列車を牽引したこともあるそうです。

東海道本線や宇都宮で走り、昭和60年の田端が最終配置になっています。

説明板

別角度

銘板

反対側

 

オハネ12 29

昭和33年日立製、10系客車の寝台車です。

ナハネ11として製造されましたが、改造で自重が増えたことでオハネ12になっています。

説明板

B寝台

反対側

別角度

 

オシ17 2055

昭和34年に旧型客車の台枠を流用して作られた10系客車の食堂車です。

昭和49年に教習車オヤ17 1に改造され、昭和62年に廃車となっています。

文化むら保存時に表記がオシ17仕様へ復元されましたが、室内は教習車時代そのままとのこと。

説明板

別角度

食堂車時代はあった貫通路が塞がれているため独特な見た目をしています。

台車

食堂

車番

反対側

別角度

 

EF70形1001号機

昭和39年日立製、EF70形22号機として製造された機関車です。

北陸本線で使用され、昭和61年に廃車となっています。

F形交流機としては現存唯一です。

説明板

銘板

反対側

別角度

 

EF30形20号機

昭和43年三菱製、関門トンネル専用の交直流機関車です。

昭和61年に廃車となり、高崎での保管を経て文化むらに保存されています。

EF30形は他に1号機3号機カットボディが保存されていますが、どちらも門司にあります。

説明板

別角度

銘板

反対側

 

スロフ12 822

昭和58年に12系客車を改造して作られたジョイフルトレイン「くつろぎ」の1号車です。

昭和52年新潟鉄工製のスハフ12 109が種車になっています。

平成11年に引退し、6両あったうちの2両が保存されています。

貫通路

車内に入ることが出来ます。

車内

デッキ

銘板

反対側

 

オロ12 841

「くつろぎ」の2号車です。

昭和45年富士重工製のオハ12 170を改造して作られています。

銘板

別角度

車番

反対側

 

モーターカー

「キヤ115-1」という番号が付いています。

高崎の訓練センターで使われていた訓練車だそうです。

8年前とは場所が変わっていますね。

運転台

 

モーターカー

「キヤ211-1」という番号が付いています。

恐らく「キヤ115-1」と同型で、高崎で訓練用に使われていたようです。

車内

銘板

表記

 

トンネル巡回車(WJ3型 製造番号184)

昭和57年3月日車製、新幹線のトンネルを点検するための車です。

説明板

銘板

反対側

 

トンネル巡回車(WJ-3型 製造番号183)

色違いがもう一つありました。

製造番号一つ違いです。

説明板

銘板

反対側

 

鉄道資料館

碓氷峠現役時代は横川機関区の詰所だった建物です。

売店や資料の展示があります。

ED16形6号機プレート

上越線青梅線で使われてた機関車のものです。

EF63形23号機プレート

22号機と同時期に製造された機関車で、3次形に分類される車両です。

同仕様の22・24・25が現存しているため、3次形では唯一解体された車両になります・・・

屋上から車両を望む

遊具

300系やフラノエクスプレス、189系など・・・時代を感じます。

 

あぷとくん

園内周遊の軽便SLです。

グリーンブリーズ号

平成11年英国製、蒸気機関で動く本物のSLです。

「3950」というのは、碓氷峠が非電化だった時代に走っていたアプト式SLの3950形から来ているそうです。

DLあぷとくん

こちらはディーゼル機関車で、軽井沢にあるアプト式電気機関車10000形(EC40)がモデルになっています。

 

次回で完結?

 

その4へ続く

 

その1・2はこちら

 

保存車リスト~群馬編~ - 凹凸プラ陳列館

碓氷峠鉄道文化むらの展示車両・その2

8年ぶりに見る碓氷峠の保存車両・その1

この続きです。

※2023年9月撮影

屋外展示場の車両を眺めていきます。

 

DD51形1号機

昭和37年3月日立製、DD51形のトップナンバーです。

試作機ということもあり、他のDD51形とは外観がかなり異なっています。

東北地方で使用され昭和61年に秋田で廃車となり、高崎第二機関区での保管を経て碓氷峠に保存されています。

説明板

車番

銘板

反対側

 

キニ58 1

キハ58系列の荷物車です。

昭和38年帝国車輌製の中間車キロ58 7を昭和53年に幡生で改造して制作されています。

水戸に所属し、常磐線方面で走っていたそうです。

説明板

銘板

一番下がキロ58として製造された時の物、一番上がキニ58に改造された時のものです。

反対側

 

キハ35 901

昭和38年東急製、塩害対策としてステンレス車体で試作されたキハ35です。

房総で走った後、ご当地の高崎運転所へ移ってきています。

説明板

前照灯と方向幕

反対側

 

ソ300形ソ300

昭和41年日立製、橋桁を架けるためのクレーンを持つ操重車です。

クレーンを動かすもののほかに作業時に自走するためのエンジンも積んでいますが、分類上は貨車です。

全部で2両製造され、もう1両のソ301も最近まで大宮に残っていましたが解体されてしまいました。

説明板

別角度

重さに耐えるべく車輪が沢山付いています。

銘板

車番

検査標記

反対側

クレーンはこちら側にあります。

 

DD53形1号機

昭和40年汽車會社製、除雪用の機関車です。

新潟に新製配置され、後に旭川へ移り、最後は新庄で廃車となっています。

近年まで2号機が動態保存されていましたが、2010年に廃車となって1号機が現存唯一となっています。

説明板

別角度

除雪翼の銘板

ラッセルヘッドの銘板

ラッセルヘッドと機関車の連結部

銘板

反対側

別角度

 

D51形96号機

昭和13年汽車製造製の機関車です。

長野や北海道で走り、昭和50年に滝川で廃車となっています。

廃車後は長瀞でSLホテルとして使われた後、当地へ移っています。

説明板

別角度

D51でも初期の車両であるためナメクジドームになっています。

動輪

銘板

タブレットキャッチャーもあります。

機関室

反対側

 

マイネ40 11

昭和23年日車製の1等寝台車です。

昭和43年に事業用車のオヤ41 2に改造され、昭和60年に廃車となって製造時の姿に復元されています。

説明板

銘板

台車

マイネ40以前の優等寝台車は3軸台車でしたが、これでは2軸台車になっています。

J.G.R.

鉄道省あるいは運輸省を表す「Japanese Government Railways」の頭文字です。

デッキ

反対側

 

スニ30 8

昭和2年日車製の荷物車です。

昭和36年に救援車スエ30 9に改造され、昭和62年の廃車後スニに復元されています。

救援車だった頃は品川に配置されていたとか。

説明板

検査標記

反対側

扉や貫通路が塞がれているなど救援車の面影も残っています。

キハ20 467

昭和37年帝国車輌製の気動車です。

高崎など関東地方で走り、平成2年に廃車となっています。

銘板

別角度

銘板

台車

手動

反対側

 

EF65形520号機

昭和41年東芝製、高速貨物牽引用に作られた機関車です。

東海道山陽で走り、最後は高崎に移って平成14年に廃車となっています。

他の保存車両より遅く2003年に追加された車両で、現役時代に文化むらの他の保存車両を横川まで牽引してきたこともあるそうです。

説明板

別角度

銘板

パンタグラフ

反対側

 

EF60形501号機

昭和38年東洋電機・汽車會社製、客車牽引用の機関車です。

東海道で使われた後に高崎へ移り、昭和61年で廃車となっています。

説明板

別角度

銘板

パンタグラフ

反対側

 

EF59形1号機

昭和7年日立製のEF53形8号機を昭和37年に改造して作られた機関車です。

山陽本線瀬野八で貨物列車の補機として使われ、昭和62年に廃車となっています。

EF53時代に高崎所属だったこともあるそうです。

説明板

警戒色

機関車が単機で回送される際こちらが先頭になり、それを目立たせるために塗られているのだそうです。

パンタグラフ

銘板

EF59に改造された時の物がついています。

反対側

 

EF80形63号機

昭和42年日立製、EF80形のラストナンバーです。

一貫して常磐線で使用され、昭和61年に田端で廃車となっています。

最近まで36号機が大宮にありましたが、解体されたためこれが現存唯一のEF80となっています。

説明板

銘板

反対側

別角度

 

EF63形1号機

昭和37年東芝製、EF63形の初号機です。

量産先行車ということもあり、他のEF63とは所々形状が異なっています。

他のEF63より早い昭和61年に廃車となり、高崎での保管を経てここに保存されています。

説明板

別角度

前照灯が点いていました。

銘板

反対側

ジャンパ栓受けはこちらの後位側にあります。

 

ナハフ11 1

昭和32年日車製、軽量客車10系列の三等座席緩急車です。

昭和61年に廃車となっています。

数多現存している10系客車ですが、ナハフ11はこれが現存唯一です。

説明板

車番

台車

反対側

別角度

 

EF62形1号機

昭和37年川崎製、EF63と協調運転が可能な電気機関車のトップナンバーです。

同時期製造のEF63形1号機と共に碓氷峠が粘着式に切り替わる際の試運転にも使用されています。

これまたEF63形1号機と同じく昭和61年に廃車となり、高崎での保管を経て保存されています。

説明板

銘板

反対側

別角度

 

EF15形165号機

昭和33年日立製の貨物用機関車です。

高崎周辺で使われ、昭和60年に廃車となっています。

説明板

別角度

銘板

反対側

 

オハユニ61 107

大正10年日車製の木造客車を昭和30年に鋼体化して作られた車両です。

60系客車の座席郵便荷物合造車になります。

同系列の客車は数両保存されていますが、オハユニ61はこれが現存唯一です。

説明板

台車

反対側

別角度

 

EF53形2号機

昭和7年汽車會社製の機関車です。

昭和39年に瀬野八補機のEF59形11号機に改造されていますが、保存にあたって外観がEF53形に復元されています。

EF53時代に高崎にも所属していた機関車です。

説明板

別角度

銘板

本来のものが失われていたため、軽井沢のED42のものを複製したのだそうです。

反対側


まだまだ続きます。

その3へ続く